こんにちは。「今世紀最もエモい評論家」こと、キノコ社長です。
今さら感満載ですが、「アルジャーノンに花束を」のレビューをしたいなあと思います。
幸せってなんだろう?そんなことをよく考える人におすすめの本です。
「アルジャーノンに花束を」のあらすじ
もう超有名な話なので、めっちゃ簡単に書きますね。
32歳のチャーリイ・ゴードンという知的障害者が主人公です。
チャーリイはIQが68しかなかったんですが、脳の手術を受けてIQ185の天才になります。
最初は自分の知能の向上に喜んでいるチャーリイでしたが、頭が良くなってくるにつれて色んなことが分かってきてしまうんですねえ。
・友達だと思っていたパン屋の同僚に実は馬鹿にされていたこと
・障害者を人間扱いしていない人たちが多く存在すること
・自分の障害が原因で母親に捨てられたこと
自分の知能はぐんぐん向上していくのに、精神面が全く追いつかず、チャーリイは苦悩します。
でも素晴らしい人たちと出会っていく中で、恋愛や芸術にも興味を示し、それなりに幸せになっていきます。
ところがある日、チャーリイは、いずれこの天才的な知能が失われ、手術前以上に悪い状態になってしまうことに気付いてしまいます。
なぜなら、自分より先に同じ手術を受けていたマウスのアルジャーノンの知能が退行し、死んでしまったからです。
チャーリイは結局、自ら周りの人たちのサポートを拒否し、障害者養護施設へ行くことを決めます。
とまあこんな感じのあらすじですね。
チャーリイは手術を受けるべきだったのか?
結局この小説が読者に投げかけている最大のテーマは、「チャーリイは手術を受けるべきだったのか?」ということだと思うんですね。
僕がもしチャーリイで、すべての結末を知っていたら、きっと手術を受けなかったと思います。
なぜなら、手術を受ける前はパン屋で働けていて、友達もいて、幸せな生活を送れていたからです。
確かに、時には馬鹿にされていたかもしれません。だけどチャーリイはそれでも幸せだったんです。もし手術を受けなければ、そのまま幸せな生活が続いていたんですからね。
でも手術を受けてしまったばっかりに、すべてを知ってしまいました。自分がいかに無力だったか、自分がどれだけ馬鹿にされていたか。
手術を受けなければ、そんな悲しいことを知らなくて済んだのに。
天才になったチャーリイは、自分を馬鹿にしていた人たちを逆に馬鹿にするようになります。
この描写もまた悲しいんですよね…
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結局自然のままが一番
世の中には受ける必要がない手術を受けて、その後遺症に苦しむ人が数多くいます。
「受ける必要がない手術」を正確に定義すると、命にかかわらない手術のことですね。例えばレーシックや、整形手術などです。
レーシックを受ける人は、目が良くなりたかった。整形手術を受ける人は、キレイになりたかった。そしてチャーリイは頭が良くなりたかった。
ただそれだけなのに、人生の歯車が狂ってしまった。
僕はキリスト教信者ではありませんが、やはり自然に逆らい体にメスを入れるということは、何かしらのリスクを負うということなのかもしれないなと思います。
これからもっと医学が進歩すれば、チャーリイが受けたような手術が可能になるかもしれません。
原理は脳を少しいじるだけですからね。もしかしたら今でもできるのかもしれません。
しかし、本当にそんなことをしていいのでしょうか?
何か不測の事態が起こった時、医師は責任を取れるのでしょうか?
答えはもちろんNoです。
だがそれにしても驚くべきは、私の運命が、私がかつてそう思いこんでいたような巨人ではなく、すべての答を知らない人々の手に委ねられているのがわかったことである。
これは、チャーリイが自分を手術した医師に対して抱いた感想です。そう、医師だってただの人間。すべてを予測できる万能の神ではないんです。
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まとめ
アラサーのくせに偉そうなことを言ってしまいますが、やっぱり親からもらった体は、大事にするべきだなと思いますね。
高望みせず、自分自身の枠の中で、最大限に楽しんでやればいいんです。
あなたにとって、今日もいい日でありますように。